こういう時は俺に頼れと言っただろう!・後


「弟さんを俺にください。」

 高級そうな絨毯に土下座。頼み事の基本はこれだ。
深く下げた後頭部に、憤怒のごとき威圧感を感じるけれども、此処で平手うちを喰らおうが、階段落としをされようが引く訳にはいかない。
「俺達のバンドにはガリュウが必要なんだ。というか、ガリュウがいないとお話にならない。ガリュウがいてこその『ガリュー・ウェーブ』なんです。よろしくお願いします。」
 敬語とタメ口の混じった異様な話っぷりだが、大庵も必死だ。自慢のリーゼントも床に突き刺さって潰れている。

「頭を上げなさい。」
 呆れたような溜息と共に、吐き出された言葉で、恐る恐る顔を上げると、腕組をしながら眼鏡を押し上げる霧人の姿が見えた。
 眉間に寄せられた深い皺を見る限り、これは殴られるかもしれないと思わず大庵は歯を食いしばったが、霧人はまぁ座りなさいと声を掛けた。

「弟にどれだけの才能があるのかはわかりませんが、可愛い私の弟なんですよ。
 いずれ、プロデビューも果たしたいとの事ですが、そんな、成功するとも失敗するともわからないバンド活動などで苦労させたくありませんし、あの子はもう司法試験にも受かっているのです。今更そんなことで…と思う私はエゴイストですか?
 図体はでかいかも知れませんが、響也はこちらへ来たばかりの世間知らずな子供なんです。」

「…。」
 思わぬ台詞に、大庵は瞠目した。
「頭を下げるというのなら、私が下げましょう。どうか、弟から手を引いて下さい。それと、何処にいるのか知りませんが、両親も心配しているので帰ってくるように言って頂けませんか?」
 反対に机に手をついて頭を下げられてしえば、大庵にはこれ以上何を言う事も出来なかった。強く言われてこそ、反骨精神も芽生えるというものだ。
 ただ黙って頭を下げると、大庵はマンションを後にした。

 霧人とは違う意味だったが、確かに響也は大切だ。
相棒と呼び合う相手でもあるし、何より大庵は響也の事が好きだ。辛い目にあわせたくないという気持ちもわからないでもない。

「ガリュウになんて言うかなぁ〜。」
 待ち合わせ場所に向かう大庵の足は、とても重いものだった。

前後左右を気にしてはいけません


11/08-23:10
◎こういう時は俺に頼れと言っただろう!・後


 子供のいない夕刻の遊園地。ゾウの滑り台の上で膝を抱えて座っていた響也は、ヘタレたリーゼントで、大庵の敗北を知った。
「ダイアンが兄貴に勝てるなんて思ってなかったよ。」
 頬杖を付いて溜息を吐きだした響也は、やれやれと荷物を手に取る。それを滑り台から押し出して、大庵に受け止めさせてから自分も滑り降りた。
 パンパンとズボンに付いた砂を叩き落として、笑う。
「兄貴、恐かっただろ?」
「まぁ…な。」
「DVされてたら、通報するつもりで携帯持って待ってたんだぜ。」
 本気とも冗談ともつかない響也の台詞に、大庵も苦笑いをするしかない。すまんと一言言い置いてから、言葉を続けた。

「で、ガリュウ。今夜は何処いくつもりなんだ?」
 実のところ、日本には来たばかりでそう友人も多くない事を大庵は知っている。
 汚い部屋だが、自分のせいでもあるのだから、うちに来ないかと言うつもりでそう聞いた。響也は暫く空を眺めていたが、そうだなぁと呟く。
「ダイアンとこも行きたいんだけど…成歩堂先生のとこでも行ってみようかなぁ。」
 急に出てきた担任の名前に、大庵はぎょっと眼を向いた。
飄々としていて、掴み所がない男は、別の意味で「牙琉霧人」と同じ苦手なタイプに分類される。
「え?マジ!? あんな奴といつの間に親しくなったんだよ。」
 理由を問われて、響也は、えと視線を彷徨わせる。紅潮する目尻に、ええ!?と再び大庵が瞠目する。
「うん、そのまぁ、色々と…ね。」
 前髪を指先で玩ぶ仕草にただならぬ臭いを嗅ぎ取って、響也に詰め寄ろうとした大庵を制する人影に、仰天したのは響也の方だった。
 
「あんな輩、許しません!」
 バサバサと街路樹が揺れている。綺麗に巻かれた髪の一本一本に、葉っぱや枝が絡みついているの牙琉霧人の姿に、自分が尾行されていたのだと大庵は気が付いた。

…地味に卑怯だ、この男。
 
「ダイアンの後を付けるなんて、卑怯だぞ兄貴!」
「卑怯だろうと、なんだろうと成歩堂の名前が出て大人しくしている訳にはいかないでしょう!だいたい、あの男は…」
「じゃあ、なんで、そんな奴と友達してるんだよ!」
「口が裂けても言えないくらいの秘密です。さあ、帰りますよ、響也。」
 掴まれた腕を弾いて、響也は声を張る。
「やだ! 帰らない!」
「貴方という子は、聞き分けがない!」
「ちょっと…アンタ達冷静に…!」
 冷や冷やとしながら二人の様子を見守っていた大庵は制止の言葉を叫びながら、間に割って入るも強烈な平手打ちによって、場内から押し出された。
 再び上がった手に、響也は両手でぐっと制服の裾を握りしめて、視線を上げた。
「殴りたかったら、殴ればいいよ。」
「また、そんな事を。両親が此処にいない以上、貴方みたいな子供は、私が躾なければいけないでしょう? 嫌いになるなら、そうなさい。」
 こういう場合に微笑んでいたら変態だろうけれど、流石に霧人の顔は笑ってはいなかった。それでも、振り上げた手を下ろそうとした瞬間に、響也は目をギュッと閉じてる。
 
「嫌いになんかならない! 僕、兄貴の事大好きだけど、でも、絶対バンドは止めないから!」

 …思うにこれは、大嫌いと言われる以上に衝撃があるんじゃないだろうか。
その証拠に、牙琉先生は石像みたいに固まった。ガリュウの方は、しゃくり上げながら肩を上下する。
 ボロボロ涙流して、小学生かお前は。

「泣く子には勝てないとよく言ったものですね。」
 はぁと大きな溜息と共に、振り上げた手は下がっていた。
「わかりました、貴方の好きにしなさい。その代わり、両親に心配させるような事はしないで下さいね。」
 コクンと素直に頷いた響也の頭をポンポンと叩く。恐らく丸く収まったのだろうと、結局ぶっ飛ばされた頬を撫でながら、安堵の溜息をつきかけた大庵は、霧人の視線が自分を向いている事に気付き背筋が伸びる。

「響也をよろしく頼みますね。」

 にっこり笑顔で告げられた言葉に、背筋を凍らせた大庵は、その後の数多の出来事によって、それが防衛本能が告げた予知だったのだと確信した。

 …だから、惚れた俺が悪いって言ってるだろう。わかってるよ(泣



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